びっくりするくらい誰も差別解消法のことを書かないのだが、該当部分はこちら。
(事業者における障害を理由とする差別の禁止)
第八条 事業者は、その事業を行うに当たり、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない。
2 事業者は、その事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない。
というものである。
前提として、
・障害の有無に関わらず、乗車して希望の駅で降車する権利がある。
・ただし、降車できる駅は障害の状況に応じて、物理的に限られていることから、JRはなるべく速くの連絡を行って欲しいことを提示している。
ということを頭に入れた上で、
・当事者の側が、自らの状況を伝え、JR側に降車したい駅を伝えたのは、いつだったか。
それはJRが当該到着地点に人的配置を行うために十分な(JRにとってではなく、一般的にそうだろうと思われる程度に)余裕があったか。
・今回JRが行ったことがJRにとって負担が過剰でなかったかどうか。
なお、今回の件でJRの人に感謝しろとかしないとかは関係ないし、目的は達成しているため、正確には「一端乗車拒否されたが、紆余曲折あって、乗車できた」ということになる。
で、思ったことだが、直前に押し問答をすることは双方にとってあまりよろしくない。
(おそらく、押し問答をすることは織り込み済みだっただろうから、既成事実の一つだろう)
ただ、JRサイドも、いつなら過剰な要求ではないのか、いつまでの申し出ならば、対応ができるのかということを、ルール化しておく必要はあるだろう。
その詰めの甘さはあるが、結果的に対応したことについては、立場はいろいろあろうが、法律上は当然のことと言える。障害者であろうがなかろうが、客は客である。これはいわゆる報酬外のサービスではなく、乗車の一環であるからだ。(今一番争点というか、論点がずれているのはこの部分だと思う。)
私の感覚では、「言っていることは正しいと思うが、法律で決められていることよりも、上の水準を求めており、それを達成されている。」「メディアやブログに載せることで、煽っており、もっと言葉を尽くすべきところ、炎上的に記述がなされたことにより、障害者と健常者、サービス提供側とサービス需用者との分断は大きくなるだろう。」と思う。
当事者運動は、かつてこういったものであったし、行動自体は必要なことだと思う。そう思うが、今は時代が変わっている。権利を明文化した法律が昔よりずっとできている。できているが、一方で事業者だけではなく、一般の人の意識は全く上がっていない。一般の人、言い換えれば、普段全く関わりの無い人をどう説得するか、どうやってステークホルダーにして、仲間にするか、今考えなければならないのは、今心血を注ぐべきはそこだ。今回はそこを見誤った。余計な言葉が多すぎる。言葉も不足していると思う。
普段関わりの無い人に関心を持ってもらい、仲間になってもらうことで、活動が広がる。今はそういう時代だ。このすさんだ時代に、あの手法は危険だと思う。