世間で必要とされているもの

入学式も卒業式も成人式も楽しかったとかよかったという記憶があったことはあまりない。(ないわけではない)

「式」というものの多くはその当事者ではなく周辺の人のためにあるというしらけ感がずっとあるせいなんだろう

結構多くのものが中止になったが、困ったり悲しかったものは数えるほどしかない。反ってほっとしているものさえある。だから数えるほどしかないではなく、きちんと数えてみても良いかもしれない。それが自分にとって必要なものだったということなのだ。