死人が出ないと

いや、出ても世の中は変わらないぞ。


児童虐待っていうのは、センセーションに見えて、報道されれば、その時には多くの人の心を揺さぶる。
障がい者の虐待は、そこまで揺さぶらないようだ、ニュースの中心にいたのでわかる)
保護者支援や児童相談所の連携とか、まあいろいろ言われるわけだ。
児童相談所の一時保護とか措置の権力をもっと強くして、
個人情報を今よりずっと雑に扱って、人をもっとつければ、今よりは少しくらいはよくなると思うよ。
でもそんなこと思わないでしょ、役人は多すぎるって思ってるし、個人情報はセンシティブだし、権力は行使し過ぎちゃいけないって。
バランスの問題だろうけど、ま、そこまでできるわけがない。
児相で扱うケースってのは、死亡事故まで行けば明るみに出るわけだけど、
想像を絶するような、細々したことっていうのは結構起きているし、すごいヘビーな職場なんですよ。
「正義は勝つ」とかいっている児童養護の担当に知り合いがいるんだけど、正義とか悪じゃない。
悪であろうが、親も含めて支援しないといけない、行政は断罪する能力は持っていない、
そう考えても、終わりがない悪夢みたいなものです。


虐待というのは、関係性の悪用であるといわれている。私もそういう風に説明している。
関係性を悪用して、強い方が弱い方に何かを強いること、これは善意か悪意かは関係ない。
障がいの現場では、「本人のためを思ってやった」権利侵害も多くあるのである。
虐待は支援の限界の一類型である。そこからどう抜け出すか、そういうことなんだが……