やみくろ

約束された場所で―underground〈2〉

約束された場所で―underground〈2〉

サリンを撒いた「凶悪犯罪集団」とはいったい何だったのか
村上春樹がインタビューしたどの人を見ていても、
俗世を生きる方法が「そこにそぐわない」という感じを抱く
俗世から離れる手段がその人たちはオウムだったというだけで
他の新宗教でもよかったのではないかと
今になってみると思うのだが、
それだけ「グル」が人を引きつけるカリスマとなりえていたらしい
勿論これを読む前にこちらを読んでいる
アンダ-グラウンド

アンダ-グラウンド

こちらの本の方が興味を持って読めた
図書館に返却したので引用できないが、
村上春樹らしい、そして
僕自身も世間に「そぐわなさ」を感じる事象を表す文章が印象的だった

そのようにして人々は多かれ少なかれ、「正義」「正気」「健常」という大きな乗合馬車に乗り込んだ。
それは決してむずかしいことではなかった。そこでは相対性と絶対性が限りなく近接していたからだ。
つまり、麻原彰晃オウム真理教信者に比べてみれば、また彼らがなした行為に比べれば、
世間の圧倒的多数の人は間違いなく「正義」であり「正気」であり「健常」だった、ということだ。
これくらいわかりやすいコンセンサス(意見一致)はない。
マスメディアはこぞってこのコンセンサスの流れに乗り、その勢いをますます加速させた。

正常と異常の境目はどこだろうと考えること自体が既に正常でないとも言われるが、
かつてのぼくにとってのテーマであったこともあった


かといって宗教をやろうとかも思わなかったわけだが。