卵はお肉じゃ、無いもの

世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

丁度半分くらい読了。一気に読んでしまったが
実に読み応えのある本。タイトル通り世界の屠畜現場のルポタージュ
日本では屠殺という職業やその現場が忌避されることもあって
(理由は様々あるだろう)、なかなか見えてこなかった現場を
見せてくれる本だと聞いて、購入してみた
発刊後暫くして新聞などに反響もあったのも後押しだった
屠殺・屠畜というとどんな動物を想像するだろう。
僕の場合は以前写真を大学の科研プロジェクト(倫理学)の関係で見たこともあって
断然牛だった。余談だがその時は素晴らしく鮮明な写真のスライドショーで
行程を見たものだから数日牛丼を食べることが出来なくなった
この本では、牛、豚、羊、山羊、犬、駱駝についての取材がある。
日本の食生活は随分歪んだもので、肉といえばスーパーマーケットで
ポリエチレンの箱に入っている食材であり、キュウリがどの季節の野菜か知らない人も増えた
これは冗談だと信じたいが
魚というのは切り身の姿で海を泳いでいると思っている子供もいるという
食べ物を消費する場所と、生産する場所が大きく隔てられていることを表すジョークだと思いたい
我が家の辺りは田舎なので少し前まで家畜が日常的に見られたし、
その家畜を屠って食べるというのも食生活の一コマだったようだ
流石に鶏くらいの「手軽な」家畜だったようだが…
この本では家庭で行われる屠畜と屠畜場で行われるそれの両方が取材されているが
どの国も日本とはスタンスが随分違う(韓国は割と近いスタンス)。
例えばエジプトにおけるスタンスは

「そう、この場面を子供たちに見せることは大事なことなの。
私たちは動物を犠牲にして生きているということを忘れがちだから。
イスラムの犠牲祭はそれを思い出させる祭りでもあるのよ。
2歳くらいだと、まず動物の大きな声に驚いて泣くの。
もう少し大きくなると、血を見て、
自分が怪我をしたときに血が出ることとつなげて考えて泣き出す。
だいたい6歳くらいから、あとにごちそうが待っていることがわかって楽しくなるようね。」

言い方は悪いが臭いものに蓋、という都市化はちっとも素晴らしいもんじゃない
全然話は違うが、東京にいる頃しりあがり寿の「オーイ!メメントモリ」で
ポシンタン(犬料理)の店が日本にもあると知り行ってみたくなったが
同士が見つからなかったので行けず終いだった


ちなみにこのエントリを打っているとき
「とちく」「とさつ」でちっとも変換できなかった@ATOK
言葉狩りをする、この点だけはATOKを評価できない。