友へ

ふらっと 浦賀べてるの家

私たちは、国も人も右肩上がりがよしとされる社会に生きている。
しかし、誰もが右肩上がりを目指す(あるいは強制される)ことのおかしさに
そろそろ気付いてもいいのではないだろうか。
べてるの家」の試みは精神障害に対するコペルニクス的転回のみならず、
すべての人に通じる「楽しく、自分らしく生きるヒント」が満ち満ちている。

世間は今日も忙しく、誰が得をして損をしたかというマネーゲームの結果を報道していた
野球の試合結果のようだ。そういう人がいてもいいと思う。
一方では自己啓発を行い、昨日よりもいい自分になろうとしている人もいる
啓発本を本棚に並べる。そういう人がいてもいいと思う。
しかし誰もがそうして生きているわけがないのだ。
頑張ることや目標を持って生きていくのは「いいこと」とされている
おそらく、そう思って生きている人が社会を上手く回してくれているのだろう
確かに、頑張ることや目標を持って生きていくのはいいことだ
でもそれだけが価値基準として確立されていい、とも思わない。
僕は最近とみに「頑張ったね」とか「遂に目標を〜」とか言われるが
全く「頑張った」実感もないし、進歩したとも思っていない
ただ、浮かれているだけなのだと思う。


べてるねっと
自分の心の弱さを笑いに転嫁できるほど修行できてません。
でも面白い。そういえば、
大学の卒論の題材に統合失調症を選んだ一つの理由はべてるの家のビデオだった
いつか見学に行きたいと思って数年経つ。
大学の教授が見学に行ったときの話が印象的だった
「退職したら僕はあそこで暮らしたいと思った」
そういう人がいてもいいと思う。