粗製濫造された神々が踊り狂ってるんですよ

誰かに影響を受けたいといいながら、自分の領域に近い人とだけ話していれば、
ベクトル配置も方向も変化が無くて大きさだけが変わる。
結果影響を受けていないことになる。
今よりもずっと狭く、
自分の思うことでしか、考え方の範疇でしか価値判断ができなくなっていく。
本当に変わらない芯の部分は見た目や意見が変わっても、
早々変えられないから芯なのであって、
そうして先鋭化することにあまりメリットはない。
何かを変える前にまず自分が変わらなければならないのではないか?
僕は全く変わろうという気はない。そしてこれまでもなかった。
しかし属する組織にコミットすること、住んでいる地域で息をすることで、
見た目も含め、以前とは別人だと思う。


富野のありがたいお言葉

皆さん方は個性という言葉をどういう風に理解しているかわかりませんが、
今までの理解は捨ててください。
はっきり言います。自分に個性があると思うな。
あったにしてもその程度の個性だったら使い物にならないんだから捨てろ。
その代わりあなたたちがこうやって今間違いなく厳然として生きているんだから、
その生きた目線で見て、今の時代はこうでこうでこうで、
だから俺はこういうものを作りたいんだ、という風に
バックしてくるフィルターにしなさい。
「僕っていう人間、私っていう個性、肉体を持った人間が、
本当にじゃあそれが、ただのフィルターなんですか。」
「フィルターです。」「そんなつまらない。」「つまらなくない。」
フィルターを通した瞬間に、自分では全視野的にいろんな情報を取り入れて、
作品を作ったつもりでいても、フィルター通すんです。
通した瞬間にそれで全部個性が出ちゃうんです。
嫌でも出てきます。どんなに無個性な人間でも個性は出てきます。
個性とかエゴとか、我といいます。
我というのはとっても禿しくて、とっても強烈なものです。