働き蜂

若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず

若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず

政策目標を正規雇用・常用雇用の達成と考えるなら
就業支援策で掬われるのは今の困難の程度の低い者に限られる

良くも悪くもここまで非正規雇用が増えた状態で
派遣切りのニュースがあってからこっち、
今度は非正規雇用を減らせと言う論調になりつつある
どういう場面であっても、
正規雇用が正しくてそれ以外はよくないもの、と言う論調になりがちである
それも実に極端な話で
ある程度の非正規雇用労働者がいること自体は悪いことではないのだ
働く限りはその人がどういう立場であれ、
能力に見合った評価と報酬を受けられればいい
とまあそういうお話の本。
最近あまり外に出ていないものだから年長の人と会う機会もあまりないのだけれども
彼らの言うように選り好みをした結果非正規雇用という人ばかりでもないのだ
勿論選り好みをした結果「自分探し」に躍起になり(誰がそう駆り立てるのだろうか)
「仕事探し」をしていない人もいる。
問題をややこしくしているところはここであって、
どちらが「若者」なのか、保護すればいいのか批判をすればいいのか
きっと楽なのは批判をすることだからそちらを選ぶ。
今の若者を取り巻く環境というのは確実に過去のそれと変わっている
偏差値で高校を割り振られ、進学校に行ったものは大学へ行き、彼は大卒程度の職に就くだろう
一方勉強の出来なかった者は産業系の高校へ行き、高卒程度の職に就く
今時の若者の僕はそれが当然と思っていたが、過去はそうでなかったのだ…
(確かにぼくも工業高校出身の教師に勉強を教わっていた
工業高校出身でも努力すれば大学に行ける、そういうレールがあったし
そうできるんだと教師達も励ましていたという)
そして華々しい職業と言えば大卒が要件であり、そうでない者は華々しくない職に「仕方なく」就く
レリバンスのない学問を学んだ者も大卒者と同じように「仕方なく」職に就く
かつてならば食っていくために「仕方なく」は当然であるしそうであっても華々しい生活が出来たろう
だが、今の多様な価値観の中で、食うに困らない時代ではその「仕方なく」は成立しないのだ
いかに今後、「仕方なく」職に就きそして辞める悪循環を無くしていくか、それが課題であろう


タイトルが興味深くて借りてみたがなかなかいい本だった