サリーのビー玉

自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」

自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」

2001年に浅草で起きた短大生殺人事件(詳細)に関する
発達障害者の裁判、被害者遺族、マスコミの報道のあり方等様々な方向から見えてくるものを
細かに描いたルポタージュ。
事件から暫くするとぷっつりと報道が止んだことが思い出される。

自閉症と呼ばれる人びとのもつ特性が、
どれほど特異で奇異に映ろうとも、私たちは、
もっともっと冷静に彼らのことを知る必要があるのではないか。

差別と叫ばれることに恐れて、いつもいつも
何かを隠すことだけが行われているような気がしてならない。
責任能力の有無(39条)が争点だったように伝えられるが、
法廷における真の争点は弁論の様子を通せばそれ以前の問題であることがわかる。
周囲とのコミュニケーションが出来ているのかどうか、
そして取り調べは適正な手続を踏まれたものだったかどうか
ひいては自閉症という発達障害を司法サイドがどれほど理解しているかが
問われるリーディングケースとなりうる事件であった。


被害者・加害者家族にもかなり深い取材がなされている。
他人には全く無力な世界だけが広がる
私事であるが親戚に殺人事件の被害者がいる
どんな人だったかということをその家族と語り合うことは今でも出来ない
病死や老衰などとは全く別の死がそこにはある